阪神タイガースはプロ野球の球団の中で読売に次ぐ2番目に歴史の長い球団です。
しかしそんな歴史の長い阪神ですが、日本一には1度しかなっていません。
これはさすがに日本一にならな過ぎですね。
楽天は2005年から創設されて、既に1度の日本一がありますから。
この記事ではそんな阪神が唯一の日本一を成し遂げた1985年の
- 球団唯一の日本一
- バース、掛布、岡田の超強力クリーンアップ
- 3人共が3割30本100打点以上の成績
- バースが三冠王
- バックスクリーン3連発!
などについてを紹介していきます。
球団唯一の日本一!

出典:日本経済新聞
阪神タイガースは2018年の時点で球団創設83年のプロ野球で2番目に歴史の長い球団です。
しかしそんな球団創設83年の中で日本一はたった1度だけです・・・
幾ら何でも少な過ぎですね。
そしてその唯一の日本一を成し遂げたのが1985年です。
監督は2回目の監督となる吉田義男監督の1年目でした。
21年ぶりリーグ優勝
1985年のセリーグは8月終了時点では大混戦でした。
阪神は開幕から8月終了までに14の貯金を作っていましたが8月終了時点で2位と0.5ゲーム差の1位でした。
しかし9月に大きく勝ち越し10月16日に21年ぶりのリーグ優勝を果たします。
この9月の戦いについては↓
8月終了時点でまで2位の巨人とは0.5ゲーム差、3位の広島とは1ゲーム差の大混戦であったが、 9月7日、8日の対広島2連戦(広島市民球場)で連勝すると、勢いを掴み9月は13勝5敗1分の貯金8とした一方、広島は7連敗を喫するなど6勝11敗1分、巨人も6勝13敗と失速、両チームとのゲーム差を広げ、優勝に大きく前進した。
8月終了時点で2位巨人が0.5ゲーム差まで迫ってきていましたが、ペナント終了時には
2位広島と7ゲーム差
3位巨人と12ゲーム差
と大きくゲーム差を開き、ペナント終盤の底力を見せました。
今の阪神はペナント終盤の失速がお決まりの様になっていますが、1985年の阪神は9月10月の底力によってリーグ優勝を勝ち取っています。
日本シリーズで西武を破り初の日本一
日本シリーズでは西武と戦い、4勝2敗で初の日本一を成し遂げました。
このシリーズは4試合目まで外弁慶で
まず阪神が西武ライオンズ球場で2連勝
その後、西武が甲子園で2連勝
と4試合目までで2勝2敗でした。
そして5試合目に阪神が甲子園で初のホームチームの勝利で大手をかけ、11月2日の西武ライオンズ球場での第6戦に勝利し日本一を決めました。
また、日本シリーズMVPには打率.368・3本塁打・9打点でシリーズ三冠王のバースが選ばれました。
ちなみにバースはペナントでも三冠王を獲得し、セリーグ・シーズンMVPにも選ばれました。
バース、掛布、岡田の超強力クリーンアップ

出典:阪神タイガース公式サイト
1085年の阪神といえばバース、掛布、岡田のクリーンアップを思い浮かべる人も多いでしょう。
3人共が3割30本100打点以上の成績を残す活躍で日本一に大きく貢献しました。
なかでもバースは三冠王を獲得してシーズンMVPにも選ばれる活躍で現在でも史上最強助っ人と呼ばれています。
また、巨人・槇原からのバックスクリーン3連発も1985年4月の事で今でも伝説となっています。
3人共が3割30本100打点以上の成績
1985年のバース、掛布、岡田のクリーンアップは全員が3割30本100打点という大活躍でした。
それぞれの打率、本塁打、打点の成績だけを見ても
打率 | 本塁打 | 打点 | |
バース | .350 | 54 | 134 |
掛布 | .300 | 40 | 108 |
岡田 | .342 | 35 | 101 |
このように超強力クリーンアップだった事が分かります。
ホームランだけで見ても、この3人だけで129本塁打も放ってます。
2018年の阪神はチーム本塁打が85本でした・・・
これだけでも現在の阪神の貧打と1985年の阪神クリーンアップの強力さがよく分かりますね。
また、この3人以外にも阪神で監督も務めた真弓明信が1番打者として
打率.322, 34本塁打、84打点
の好成績を残し、超強力クリーンアップと共に打線を引っ張りました。
バースが三冠王
バースは1985年に打率、本塁打、打点の三冠王になっています。
しかし本当は三冠王ではなく五冠王でした。
1985年のバースは打率、本塁打、打点の他に最高出塁率と最多勝利打点のタイトルも獲得しています。
この最多勝利打点とは1988年まで表彰されていた打撃タイトルで、試合の中で最後に勝ち越した時の打点の事です。
現在は廃止になりましたが記録として認められていた期間では1985年のバースの22打点が最高記録です。
また、当時の日本プロ野球ではシーズン最多安打はタイトルではなく、正式に打撃タイトルとして表彰されるようになったのは1994年からでした。
1985年のバースはシーズン174安打でセ・リーグ最多安打も記録しているので、まさに打撃部門の総なめでした。
ここまでの神助っ人は今後も現れる気がしませんね。
ちなみにバースは1986年も三冠王+最高出塁率、最多安打になっています。
マジで超神助っ人外国人ですね。
バックスクリーン3連発!
このバックスクリーン3連発ついては昔から阪神ファンの方は覚えている人が非常に多いと思います。
この槇原氏の顔がいいですね。
槇原氏には新庄剛志さんが阪神時代に敬遠球をサヨナラタイムリーしたりもしてますしね。
新庄剛志の敬遠球サヨナラについてはこちらの記事で↓
-
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話がそれましたが、このバックスクリーンとは
1985年(昭和60年)4月17日に阪神甲子園球場で行われたプロ野球・阪神タイガース(以下阪神)対読売ジャイアンツ(以下巨人)の試合において、阪神の当時のクリーンアップ(ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布)が7回裏の攻撃時に、巨人の槙原寛己投手が6球を投じる間に3者連続でバックスクリーンおよびその左へ本塁打を打ったという出来事を指す。
阪神ファンの間では「伝説の三連発」とも呼ばれる。
この14年後となる1999年には、新庄剛志(当時阪神)に故意四球を意図した投球をサヨナラ安打にされる槙原だが、阪神は通算成績38勝10敗(その他の4球団には121勝118敗)と一番の得意球団であった(初先発で延長10回完封勝利も甲子園の阪神戦で記録した)。
出典:Wikipedia
とWikipediaでは説明されています。
実際には槇原氏に阪神はかなり抑えられているんですね。
ただこのバックスクリーン3連発と敬遠サヨナラタイムリーのイメージもあってか個人的には結構打ち込んでいるイメージがありました。
勘違いでしたね。
また、阪神は1985年以外に2003年と2011年にも三者連続ホームランがありました。
2003年は横浜スタジアムで濱中、片岡、アリアスの三連発
2011年は東京ドームで鳥谷、新井、ブラゼルのクリーンアップの三連発
でした。
ちなみに私は2003年の横浜スタジアムの三連発は現地のレフトスタンドで観戦していて、物凄~~~く発狂したことを今でもよく覚えています。
まとめ
この記事では
- 1985年の球団唯一の日本一
- バース、掛布、岡田の超強力クリーンアップ
- 最強助っ人ランディ・バース
- 伝説のバックスクリーン3連発!
などについて紹介してきました。
振り返ってみて改めてよく分かりましたが、やはり打力が凄まじかったんですね。
近年の阪神は貧打に悩まされ続けていますが、この貧打をどうにかしないと優勝、日本一は不可能と再確認させられました。
今後の阪神には1985年を超える強力打線を目指してがんばってもらいましょう。
長年に渡り待たされ続けている球団2度目の日本一を楽しみにしています。
ありがとうございました!