元阪神・新庄剛志の現在は?バリに移住?現役時代の伝説も紹介!

投稿日:2018年11月18日 更新日:

https://www.nikkansports.com/baseball/column/kunikaraheisei/news/201810020000398.html

元阪神で日ハムやメジャーリーグでも活躍した新庄剛志さんですが、現在はどこで何をしているのでしょうか。

現役引退後は金銭トラブルや海外移住、離婚など色々な事があったみたいです。

色々調べてみるとなかなか濃い生活を送っています。

この記事では

  • 新庄剛志のプロフィール
  • 新庄剛志の現在
  • 新庄伝説

などを紹介していきます。

新庄剛志のプロフィール

出典:niftyニュース

名前:新庄剛志(しんじょう つよし)

生年月日:1972年1月28日

身長・体重:181cm・76kg

血液型:A型

背番号:阪神63→5・日ハム1

ポジション:外野手

投球・打席:右投げ右打ち

出身:福岡県福岡市

経歴:西日本短期大学附属高→阪神→メッツ→ジャイアンツ→メッツ→日ハム

プロ入り:1989年ドラフト5位

新庄剛志の現在は?

新庄さんの現在は野球とはかけ離れているようです。

というかもはや日本には住んでいないです。

バリ島に移住もそれが原因で離婚

新庄さんは2010年頃からインドネシアのバリ島へ移住しています。

バリ島へ移住するきっかけはCM撮影で訪れた時に星空を見て感動したからのようで、このバリ島への移住がきっかけで離婚もしています。

バリ島移住と離婚については以前のテレビ収録で詳しく語っていました↓

バリにはCM撮影で訪れたことがきっかけで、夜中に砂浜で見た綺麗な星に感動して移住を決めたという。

すぐに当時の妻にメールで「今日から僕はここに住みます!」と送ったそうだが、妻からは「はっ?意味分かんない」と困惑の返事がきたのだとか。

しかし新庄氏は「俺も分かんないけど、ごめん」と謝罪し、慰謝料など数億円を払い離婚したという。

とのことのようです。

まぁ新庄さんらしいちゃらしいですね。

この離婚で慰謝料などを数億円払ったみたいですが、新庄さんはこのテレビ収録で離婚の原因について「星のせい」と語って笑わせていました。

会社設立も閉鎖

新庄さんはバリ島に移住する2年ほど前の2008年に株式会社レハサフ会社という会社を設立しています。

主な業務内容はアスリートやアーティストのマネジメント、化粧品やアパレルの企画や販売でした。

日ハムでチームメイトだった森本稀哲のマネジメントも行なっていた時期もあります。

会社設立時に新庄さん自身の公式サイトは自社のものと共同になり「CLUB SHINJO」から「LHSF_COLONY」に名称を変更しています。

会社自体は2013年に閉鎖となりましたが公式サイトは現在でも使用されています。

エアブラシアートやモトクロス競技に没頭

現役引退後はエアブラシアートやモトクロス競技に没頭していたようです。

エアブラシアートとはエアブラシを使った絵画制作やメイクアップのことで特に絵画制作力を入れていました。

絵画制作を始めたきっかけは、テレビ番組の企画でチャリティーオークションへの出品作品を描いたことのようで、この作品は日ハムファンによって300万円で落札されました。

自宅にはアトリエも設置していて個展を開催したこともあります。

また、モトクロス競技は移住したバリ島でプロレーサーを目指し、2016年頃まで本格的に練習をしていました。

バリの自宅の近所には2000万円規模の練習場を開設して地元の住民に無料開放しています。

ただ2018年の取材では「今はゆっくりしたい」と語っていてエアブラシアート、モトクロス競技の活動していないようです。

信頼した人に22億円横領される・・・

新庄さんは自身のお金の管理を母に紹介された会社経営者の知人に全面委託していました。

バリへの移住を決めた際に今まで預けていたお金を返してもらおうとすると、税金を引いた推定22億が2200万円しか残っていませんでした。

22億が2200万って100分の1かよ・・・

これはこの知人が会社経営へ資金を流用していた為でした。

もちろん裁判も行いましたが最終的に新庄さんの元には8000万円しか戻らなかったようです。

このことについて新庄さんは

「お金を使い込まれたことじゃなくて、気持ちの面で引きずったね。100万円でも20億円でも一緒なのよ。18歳から34歳まで信頼して一緒に過ごしてきた人に、ずっと騙されてきたのかと思うと、もう日本にいたくないと思った。でも、バリは物価も安いので、ここならまだ住めるだろうと」

と語っています。

ただバリへ移住するとすぐに吹っ切れたようで、取材での質問では

ーーバリに行ってもしばらく引きずったと聞きましたが、何年ぐらい引きずったんですか?

「悩んで、悩んで……5日ぐらいかな」

と5日で吹っ切れたとも語っています。

普通なら一生引きずりそうですが、さすが新庄。本当にポジティブですね。

今後については?

今後についてはテレビ番組の企画などに興味を持っているようです。

新庄さんによると

「今はテレビの企画とかを考えて……今、テレビが面白くないじゃん」

「最近は同じような人ばっかりテレビに出てるじゃない。今は逆に、昔ビートたけしさんたちがやっていたような、無茶苦茶なものを持ってきてもいいんじゃないかなと思っているの。そういう勇気あるプロデューサーも、そろそろ出てきてもいいと思うのよ。『クビ覚悟で一発やってみ』『当たるかもしれない』って、そういう気持ちで俺はメジャーに挑戦したから、一緒じゃない? 俺はアメリカ行ってなかったら、50億稼げてなかったからね。そういう勇気を今のプロデューサーにも持ってもらいたい」

と語っています。

確かに新庄さんがテレビ番組の企画をしたら無茶苦茶な物ができそうですね。

今の時代では批判が怖くてやり辛そうですが、確かに逆に面白いと思います。

新庄伝説

画像出典:日刊スポーツ

新庄さんは現役時代に数々の伝説を残しています。

ここでは阪神時代の伝説を紹介していきます。

元祖二刀流

新庄さんはメジャーへ行った大谷翔平選手が二刀流に挑戦するよりも遥か昔の1998年に二刀流に挑戦しています。

これは当時監督だった野村監督の発案で、当時の野村監督の話では

「打撃時に活かせるよう、投手心理を理解させるため」

「あれだけの強肩の持ち主。どんな球を放るか元捕手として純粋に興味がある」

「下半身の使い方を覚えたら150km/hは出る」

と説明しています。

新庄さん自身も「センターの守備位置からリリーフ登板してみたい」などと発言し、乗り気でした。

実際にオープン戦にも2度登板し、球速143キロを記録しています。

成績としては2試合2回1奪三振1被安打1失点1自責点でした。

しかし肘痛や左膝を痛めたこともあり、結果的にはオープン戦2試合のみで二刀流は断念しています。

ホームランが2塁打に

このホームランが2塁打になった試合は1995年の横浜スタジアムでの横浜戦で起こりました。

1点を追う9回表に大魔神佐々木(佐々木主浩)から放った打球はレフトスタンドの阪神応援団の応援旗に当たりグラウンドに落下しました。

応援旗に当たらなければ同点ホームランになる打球でしたが、審判団は協議の末に判定を2塁打としました。

この判定に怒った阪神ファンが暴動を起こしグラウンドへの侵入者も出たため、一時選手がベンチに引きあげ試合が中断される事体になりました。

また、新庄さんは日ハム時代にも東京ドームでライトへ放った大飛球を最前列の観客に捕られて、同様に2塁打の判定をされてます。

引退騒動

この引退騒動は1995年オフの契約交渉後の会見で

「野球に対するセンスがないって見切った」

と突然の引退宣言をしました。

これは当時監督の藤田平監督との不仲が大きな原因だったようで、後に著書で

「1995年シーズン中に足首の故障で二軍落ちしていた練習日に、故障状態の深刻さから自身で判断して開始時間に合わせグラウンドへではなくトレーナー室へ行った行動について、当時二軍監督であった藤田から頭ごなしに遅刻であると咎められた際に正座の罰を受けた件をきっかけに、藤田とは野球観が合わないと考えるようになっていった。しかしどうせ辞めるのなら人のせいにはしたくないとの考えから、発表する理由を『センスがない』にすれば打撃成績も悪かったのである程度は納得してもらえると思った」

と書かれています。

また、藤田平監督とソリが合わなかった以外にも、慕っていた柏原純一打撃コーチの退団で球団に対しても不信感を抱いていたようです。

当時は横浜ベイスターズへトレードを志願したこともあったようなので、この数年間はかなり環境的に合わなかった時期でした。

ただ引退宣言後に父親の病気が悪化したことで、考え直して引退宣言を撤回しています。

その後の契約交渉の会見では

「ユニフォームを着ている姿を見せるのがオヤジへの一番の薬だと思ったんです。自分の人生どうこうじゃなく、命にはかえられませんから」

と説明し、謝罪しています。

敬遠球をサヨナラタイムリー

この敬遠球をサヨナラタイムリーとは1999年6月甲子園での巨人との首位攻防戦でのことでした。

12回裏同点一死一三塁の場面で打席に入ると巨人バッテリーは敬遠を選択しますが、新庄さんは外された球を三遊間に転がしサヨナラタイムリーにしました。

このタイムリーは2球目を打ちましたが初球の外し方がやや甘く、新庄さんも「これくらいの球の外しなら打てる」と感じて2球目を打ちにいきました。

新庄さんはこの3日前にも敬遠されその時にも手を出せば届くと思っていて、その後に敬遠球を打つ練習をしていました。

当時の野村監督や打撃コーチも新庄さんが敬遠球を打つことを事前に認めていてサインもあったようです。

このサヨナラタイムリーについて新庄選手自身は

3日前の広島戦でも敬遠されたんです。ずっと見てたら、これは打てると思った。

柏原打撃コーチも、現役時代に敬遠球をホームランにしていたし、その師匠は野村さん…、これつながる、すごいじゃん、と思った。

柏原さんが野村さんに伝えたら「あの目立ちたがり屋が、勝手にせぇや」となった。

やるときは柏原さんの方を見るという約束だったけど、テレビカメラに目線が映ってないか心配でした。

柏原さんからのOKサインは帽子を取ることでしたが、何度もやるから、ばれる、ばれるって、心臓バクバクだったんです。

柏原さんから、ちょっとずつ前に出るように言われてた。

槙原さんも、なんでこんなバカに敬遠しなくちゃいけないんだって顔してるんですよ。

チョコチョコと前に出て、来た~っ! って打ったの。

試合後、巨人のミーティングで、長嶋さんが「次、新庄がバッターのときは、新庄の背中の後ろに投げろ」って言ったらしいのよ。

長嶋さんって、すごい人だねぇ。

と語っています。

また、野村監督はこの試合後に新庄選手について「ふふっ、宇宙人みたいなやつやな」と苦笑いを浮かべていたらしいです。

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まとめ

この記事では

  • 新庄剛志のプロフィール
  • 新庄剛志の現在
  • 新庄伝説

などについて紹介してきました。

やはり新庄剛志さん、むちゃくちゃ破天荒ですね。

現在はバリに在住なので一時期は全くメディアで見かけませんでしたが、最近はバリ移住当初よりはメディア露出が増えてきた気がします。

テレビの企画がしたいとも言っているので今後はもう少しメディア露出が増えるかもしれませんね。

今後も新庄剛志の破天荒でむちゃくちゃな活躍に期待します。

ありがとうございました!

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