藤川俊介選手は、2009年に近畿大学から阪神に入団した外野手です。
登録名は同じ苗字の藤川球児選手と区別するため「俊介」になっています。
>>阪神・藤川球児選手はリンドバーグが登場曲!プロフィールも紹介!
この記事では
「俊介選手のプロフィール」
「金本監督の連続試合出場が止まった盗塁失敗」
などについて紹介します。
俊介選手のプロフィール
俊介選手の主なプロフィールは次の表の通りです。
生年月日 | 1987年8月17日 |
身長・体重 | 178cm・76kg |
血液型 | A型 |
背番号 | 68 |
ポジション | 外野手 |
投球・打席 | 右投げ右打ち |
出身 | 福岡県嘉穂郡 |
経歴 | 広陵高→近畿大学 |
プロ入り | 2009年ドラフト5位 |
広陵高校時代は春夏通算で3回甲子園に出場していて、1年春の選抜では優勝もしています。(高校通算25本塁打)
広陵高では1年先輩に現在阪神でチームメイトの上本博紀選手がいます。
高校卒業後は近畿大学に進学し、1年生からレギュラーとして「ベストナイン5回」「MVP1回」を受賞する活躍しました。
大学時代は外野手の他に三塁手としてもベストナインを受賞しています。
ドラフトで3位以上以外はプロ入りしない予定だった
俊介選手は2009年ドラフト5位で契約金6000万円、年俸1000万円の条件で契約し入団しています。
しかし本当は、ドラフト3位以上の指名でなければ社会人野球の道へ進む予定でした。
ドラフト前には
「3位以上の指名がない場合は入社」
という条件で「東邦ガス」という会社に内定も貰っています。
しかしこのことが阪神の編成トップにまで伝わっていなかったため、阪神は俊介選手をドラフト5位で指名します。
俊介選手はこのドラフト指名にかなり戸惑い、体重が5キロも減るほど悩んだようです。
そして悩んだのちにプロ入りに気持ちが傾き、入社予定だった「東邦ガス」からプロ入りの許可を得て、阪神への入団を決めました。
こういったことがあった為、俊介選手は入団会見を同期入団の選手より遅れて単独で行いました。
この一件については阪神坂井オーナーも俊介選手に
「迷惑をかけてしまって、申し訳ない」
と、謝罪しています。
俊介選手は金本監督の連続試合出場を止めた?
画像出典:日刊スポーツ
金本監督は現役時、当時2位の1766試合まで連続試合出場の記録を伸ばしました。
現在は鳥谷選手が金本監督の記録を追い抜き2位になっています。
連続試合出場のランキングは↓
1位・衣笠祥雄(2215試合)
2位・鳥谷敬(1939試合)
3位・金本知憲(1766試合)
この金本監督の記録ストップには俊介選手の盗塁が深く関わっっています。
>>阪神・鳥谷敬選手が達成した記録を紹介!プロフ・年俸推移も!
代打出場も俊介選手が盗塁失敗で打席完了ならず
金本監督は1767試合目の打席にも立っています。
これは2011年4月のナゴヤドームでの中日戦のことで、8回表の2死一塁で代打で打席に立ちました。
しかし四球で出塁した俊介選手が盗塁失敗でアウトになりチェンジに。
結果、金本監督の打席は完了せず9回の守備にはつかなかった為、記録のストップになりました。
この俊介選手の盗塁はノーサインだったようで、俊介選手自身が「決めれる」と思って試みたんだと思います。
ただ2アウトから代打が出た場合は
「盗塁は御法度」
というセオリー的なものもあるので、金本監督も驚いたみたいですね。
金本監督の話
金本監督は記録ストップとなった試合後に
「(記録が止まっても)全然。笑えたくらい」
「それよりナゴヤドームで勝ったのが大きい。みんな、そっちを喜ばないと!」
と、語っています。
また、俊介選手の盗塁については
「いやあ、正直あの瞬間はびっくりしました」
「何がびっくりって、2アウトから代打に行った時は盗塁はほぼ御法度というセオリーがあるからです」
と、俊介選手の盗塁自体には少し驚いたようです。
俊介選手は金本監督に涙目で謝罪したそうですが、その際には
「代打2アウトのときは盗塁や牽制アウトだけはだめだから、そこだけはいい経験として勉強しなさいと言いました!」
と、記録うんぬんではなく、プレーに対してのダメ出しをしています。
また
「彼は天然だから大丈夫でしょう」
とも語っていて、俊介選手が引きずらないように多少の気遣いもあったのかも知れません。
監督就任後には俊介選手がFA権を取得した際に
「俊介はメジャーいくらしいけどね」
とイジっていて、現在もいい関係のようです。
>>阪神・金本知憲監督の采配の評判は?契約はいつまで?OB・ファンの声も
まとめ
画像出典:球団公式インスタグラム
この記事では
- 俊介選手のプロフィール
- 金本監督の連続試合出場が止まった盗塁失敗
などについて紹介してきました。
盗塁失敗時の俊介選手は入団2年目の若手選手でした。
中堅選手になった今では、あの失敗もいい経験になっていると思います。
2017年のFA取得後は好条件で阪神と複数年契約を結んでいるので、今後も中堅外野手としての活躍に期待ですね。
ありがとうございました!